洋服を扱う者としての使命
先日ピッティウオモというメンズ世界最大級の展示会を視察してきました。
色々なことを感じたのですが、一番感じた事は”洋服は西洋の人の物である事”なんです。ピッティウオモには世界中からバイヤーが集まってきます、そこで色々なスタイリングをしている方を見るのがすごく楽しく気になるスタイリングの方がいれば写真を撮るのですが、ボクが撮っているのはイタリア人ばかり、イタリア人を選んで撮っているわけではないのですが結果的にそうなってしまうんです。
勿論オシャレな日本人も沢山いるのですが、残念ながらみんな同じに見えてしまう、個性がないと言えばそれまでなんでしょうがなかなか目がいく人が少ないんです。
こんな現実を見るとやはり”洋服って西洋の人の為にある”って思ってします。日本人がスーツを着始めたのはここ数十年、向こうの人は数百年着ている。歴史がそれだけ違うのだからそうなるのも仕方有りません。しかもイタリア人はオヤジになればなるほどカッコイイ!歩んできた人生の重みとかがそのままスタイリングに出ていて、その辺のあんちゃんなんかは全く歯が立たないカッコ良さがあるんです。
ボクの役割を再認識した今回の出張
日本人がスーツを着始めて数十年、この短い期間でここまで着こなせる日本人もなかなか素晴らしいと思います。でも歴史を本当の意味で理解するのにはまだまだ時間が掛かるし、きちんとした着こなしを出来る人を増やす為には正しく伝える人の存在が必要、そんな風に思います。
洋服を扱っている者として、もっともっと歴史を勉強したり、もっと現地に行って色々な物を見たり、
ただ単に流行だからとか、ブランドだからではなく、イタリアの歴史を分かった上でどのように服が出来てきたのか?
イタリアの文化と服はどのような相関関係があるのかとか?そういった事を知らずにモノとしての服を売ってはいけない。
もっともっと深い部分で服を学ぶことが出来なければ数百年という歴史を冒涜する事になる。そんな事すら今回は感じました。
日本に和服の歴史があるのと同様、
西洋で生まれたスーツを日本で扱う者として正しい文化を学び伝えていきたい、そんな風に思います。
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