STREETNEWS 掲載
2026年7月28日

ナポリ発――
彼が見つけた、最もふさわしい言葉はイタリア語だった。
日本語でもなく、英語でもない。イタリア語である。
1972年に奈良で生まれ、大阪で育ち、日本でも屈指の難関大学である早稲田大学を卒業した末廣徳司は、自らの会社を「ILSARTO」と名づけた。
冠詞と名詞をひと続きにし、まるで一つの印章のように融合させた名前である。
その理由について、彼は自身のブログで、驚くほど率直にこう記している。
「イタリアが好きだから。特にナポリが好きだから」
これは、異国への単なる憧れや気取ったこだわりではない。
すべては、彼自身の「肩」にまつわる物語から始まっている。
末廣は、肩幅が狭く、なで肩だった。
少年時代の彼にとって、それは深刻な悩みだった。
高校生の頃には、制服のジャケットの中に母親の肩パッドを入れていたほどである。
肩幅が広くなければ、決して格好よく服を着こなすことはできない。
彼はそう信じ込んでいた。
ところがある日、人生で初めてオーダーメイドのスーツを仕立てた。
鏡の前に立ったとき、彼は初めて、心から納得できる自分自身の姿を目にした。
そのジャケットは、ナポリ仕立てだった。
自然な肩のライン。肩パッドを使わない構造。そして、彼が欠点だと思い込んでいた部分を、むしろ魅力へと変えてしまう柔らかさ。
その一着を仕立てたサルトリアは、現在もなお、ILSARTOの服づくりを担っている。
しかし、そこへたどり着くまでに、末廣は長い道のりを歩んできた。
しかも、その道は決して順風満帆ではなかった。
祖父も父も服を商う家に生まれた。
祖父は紳士服を扱い、父は婦人服店を営んでいた。
そんな環境で育った末廣は、自分には服を着こなす生まれつきの才能があると信じていた。
男子校に通っていた高校時代、女子と出会う機会など指で数えられるほどしかなかった。
そんな中で迎えた人生初のデート。
末廣は、自分で選んだ服に身を包み、待ち合わせ場所へ向かった。
ところが、彼の姿を見た相手の女性は、こう言い放った。
「よくそんな格好で、ここまで来られたね」
そして、その場で振られてしまった。
そんな彼を救ったのが、姉だった。
姉は服の組み合わせを考え、靴下の色に至るまで細かく指示するようになった。
末廣自身には、自分で選んだ服と姉が選んだ服の違いが分からなかった。
しかし、その違いは周囲の人たちには、はっきりと伝わった。
服装を褒められるようになり、褒められることで自信が生まれた。
自信がつくと、成績まで伸びていった。
そしてついには、友人たちから「絶対に無理だ」と言われていた早稲田大学への合格を果たした。
服には、その人に対する世の中の見方を変え、さらには本人が自分自身に抱く印象さえも変える力がある。
その発見が、末廣のその後のすべてを動かす原動力となった。
彼は、まだ店舗数も少なかった創業期のユナイテッドアローズに、倉庫のアルバイトとして入った。
当時は、日本のファッション界を代表する一流のプロたちが、若いスタッフに直接仕事を教えていた時代だった。
大学卒業後は、日本有数のアパレル企業であるワールドに入社した。
商品開発を担当し、1週間で5万点以上を売り上げるヒット商品を生み出したほか、北京と上海で100店舗を超える出店にも携わった。
32歳のとき、末廣は家業に戻った。
大企業で学んだ手法を導入すれば、3年間で売上を5倍にできる。
そう確信していた。
しかし、実際に起きたのは正反対のことだった。
従業員たちは彼の話に耳を傾けなくなり、売上は落ち込み、強いストレスから仕事に出られなくなった。
そんな彼に新たな道を示したのが、コンサルタントの藤村正宏だった。
小さな会社は、大企業の効率性を追いかけることで成長するのではない。
自分たちにしかない独自性を磨き、一人ひとりのお客様と深い関係を築くことによって成長するのだ。
藤村は、そう末廣に教えた。
2009年、37歳のとき、末廣は経営者を対象とした出張型の仕立て屋としてILSARTOを創業した。
完全予約制で、1日に迎える顧客は最大3人まで。
本店サロンは、大阪・淀屋橋の船場ビルディングにある。
1925年に建てられ、登録有形文化財にも指定されている建物で、4階まで吹き抜けになった中庭は、まるで別の時代からそのまま現れたかのような趣をたたえている。
2店舗目のサロンは、東京・代官山に構える。
創業から17年の間に、末廣は2万人を超える企業経営者や幹部の装いを手がけてきた。
また、『装いの影響力』という著書を出版。
同書は書店に並ぶ前から増刷が決まり、中国語にも翻訳された。
さらに、トミー ヒルフィガーの商品開発にも携わっている。
日本を代表する経済紙である日本経済新聞からは、経営者向けのセミナーや、経営者の装いをテーマとした連載を任された。
現在は、日本各地のロータリークラブやライオンズクラブで講演を行っている。
テーマは、ただ一つ。
「経営理念を身に纏う」
ILSARTOの考え方は、一つのシンプルな原則から始まっている。
会社のイメージとは、経営者その人のイメージである。
だからこそ、経営者がどの服を選ぶかということは、まぎれもなくマーケティング活動の一つなのだ。
しかし、家業の事業承継に失敗した経験を包み隠さず語る末廣は、時を重ねる中で、そこにさらに個人的で、より深い意味を加えるようになった。
自分が家業を継ぐことができなかったからこそ、長く続く会社を築こうとする人たちを支えることが、自らの使命だと感じているという。
「ILSARTOが仕立てているのは、単なる一着の服ではありません。それは、“あなた”という名のブランドなのです」
ILSARTOでは毎月、「IP――il protagonista(主役)」と題した冊子を発行している。
毎号、一人の経営者を模範となる人物として取り上げ、その歩みや物語を紹介するものだ。
これまで登場したのは、すべて日本人経営者だった。
しかし今回、初めてイタリア人経営者が主役に選ばれた。
ナポリの保険事業家であり、IGB Insurance Gold Brokersの創業者であるアンジェロ・コヴィエッロである。
冊子は日本語とイタリア語の二言語で制作され、コヴィエッロの仕事と人生の歩みを、日本の読者に伝えるためにつくられた。
末廣は冊子とともに、彼への贈り物として一着の浴衣を持参した。
日本の伝統衣装である浴衣を、ナポリの生地で仕立てたものだ。
しかも、それは贈呈の際に末廣自身が身に纏っていた浴衣と同じものだった。
日本とナポリ。
二つの文化が、一つの縫い目の中で出会う一着である。
ILSARTOは今年、創業17周年を迎える。
そして3年後の20周年には、日本の経営者たちを伴ってナポリを訪れ、記念の祝宴を開きたいと末廣は語っている。
その目的は、彼自身の言葉を借りれば、
「ナポリが本当に素晴らしい街であり、ナポリの人々が本当に温かく、心から迎えてくれる人たちであることを、心で感じてもらうため」
である。
イタリア語の言葉を社名に掲げ、ヴェスヴィオ火山の麓で仕立てられた、肩パッドのない柔らかなジャケットによって人生の転機を迎えた男にとって、ナポリは目的地ではない。
それは、今もなお彼を動かし続けている、すべての始まりの場所なのだ



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