末廣徳治郎,中村松治郎。2人の祖父の想いを次世代につなげる。
Vol.6898
柏崎中央ロータリークラブ様の
卓話からはじまった
新潟オーダー会も本日最終日。
おかげさまで今日もご予約を
たくさん頂いておりますので
最後までしっかり仕事します!
妻の実家が
ここ柏崎だったのが
オーダー会ご縁のはじまり。
明治のはじめにこの地で
”紺太”という屋号で
紺屋さんをたちあげたのが
妻の実家の商売のスタート。
屋号の紺太とは
創業者の紺屋 中村太蔵さんの
”紺と”太”を取って「紺太」
※
紺屋とは”染め物屋さん”
そして
事業をおおきく拡大したのが
妻の祖父である松治郎さん。
昭和の最盛期には
和装・洋装・布団・化粧品
制服・ユニフォームをあつかい
年商20億をこえていたようです。
そして
柏崎ロータリークラブを立ちあげ
地域の振興にも力を注ぎ
人にお役にたつ人生をいきました。

わたしの祖父も
妻の祖父同様に事業をたちあげ
地域の振興にも力をそそいだ
地元の名士でした。
妻の祖父は、松治郎
私の祖父は、徳治郎
偉大な2人の祖父をこえてほしい!
治郎をこえるには太郎しかない
ということで息子を
”悠太朗”となづけました。
そして時代とともに変化、
わたしの祖父が立ちあげた
紳士服店は廃業しましたが
ちがうかたちで私が開業。
妻の祖父がおおきくした
紺太はいまは形態をかえ
柏崎・京都・上越で
営業をつづけています。
かたちは変わっても
孫が想いをいまでもうけつぎ
2人の祖父も喜んでいるはず。
イルサルトの仕事も
紺太さんのはじまりの
紺屋とふかい関係があるので
嬉しく思ってくれているでしょう。

90歳まで現役で仕事をする
私はそう決めているのですが
これは両祖父の影響を
つよく受けています。
2人の祖父は90歳まで
仕事はしませんでしたが
いろいろな役を引きうけ
必要とされつづけました。
私自身は仕事をとおして
人のお役立ちしつづけたい。
そして両祖父の話を
できるだけ次世代につたえるのが
責任だと感じています。
健康を維持し
両祖父がそうだったように
人から必要とされる人生を
歩んでいきたいと思います。
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